感性が鈍った? 響かないと感じたときに試してほしい思考法

響かない、という感覚について

音楽でも、美術でも、映画でも。
誰かが絶賛していた作品が、自分にはまったく響かなかった──
そんな経験、ありますよね?

私は最近、そういう「響かない瞬間」に対して、前よりも気になるようになってきました。
昔は「あー、今日は調子悪いな」「これは好みじゃない」で終わっていたのに、今は
「どうして響かなかったんだろう?」と、つい考えてしまう

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「響かない」とき、どんな感情がある?

まず、響かないときに自分の中にどんな感情があるのか。
改めて思い返してみたんですが…
意外と「拒否反応」や「怒り」みたいな強いものは少なくて、が多いです。

「なんかよく分からないけど、心が動かない」
「気づいたら、スマホを見てた」
「耳に入ってくるのに、残らない」

この“無”の感覚が不思議で。
そして、それに対して自分がうっすら不安になっているのも面白いなと思いました。

「自分のセンサーが壊れてきたのかも?」という不安

響かない作品に出会ったとき、ちょっと思うんです。
「あれ、自分のセンスって古くなった?」
「時代についていけてないのかも?」

そんなふうに、自分の“感受性の衰え”を感じてしまうことがある。
でも、そこに留まらずに
「なぜ響かないんだろう」を言語化しようとしてみる。

そうすると、
その作品の“良さ”を探すというより、自分の輪郭を探す作業になるんです。

「後から響く」という現象

とはいえ、一度は響かなかった作品が、後から急に響くこともある

それってどういうときに起きるんだろう?

私の経験だと、人生のフェーズが変わったとき。
悩みを抱えている時期とか、失恋したあととか。

環境の変化、自分の変化。
どっちが先かは分からないけど、そのときの自分だからこそ響いたということは、たしかにある。

「響かない理由を考える意味」

「なんでこの作品、響かなかったんだろう?」

その問いを立てることって、自分の“まだ言語化できてない価値観”に近づく手がかりになると思うんです。

もちろん、なんでもかんでも分析する必要はないし、
「分からないままでいい」っていう余白も大事だと思います。

でも、響かなかったことを「はい次〜」ってスルーするだけじゃもったいない。
むしろ、そこにある“違和感”を掘っていくことで、自分の感性の輪郭がくっきりしてくる

私は、響かない作品を前にしたときに
「どうして響かないのかを考えるのが好き」なんです。

「響く」ときって、どんなとき?

逆に、響いたとき。
これはもう、説明なんていらないくらいわかりやすい。

涙が出る、鳥肌が立つ、時間を忘れる、全身が熱くなる。
頭ではなく、体と心が先に反応してる

その瞬間って、自分の過去の経験とか、バックボーンに触れてる気がするんですよね。
「何が」じゃなくて「どこに」触れたのか。

主観なのに、誰かに伝えたくなる理由

「これは響いた」
「これは響かなかった」

どちらも主観です。
でも、人はそれを誰かに伝えたくなる

たぶん、「私ってこういう人間です」っていうのを伝えたいんですよね。
レビューや感想って、作品の評価というより自己紹介に近いのかもしれません。

ここまでのまとめ 響かない、を楽しむということ

私は、作品に触れて「これは響かないな…」と思ったとき、
ちょっとだけワクワクします。

「この“無”はどこから来たんだろう?」
「これが響く日は来るんだろうか?」

響かないという感覚も、
実はものすごく豊かな感情なのかもしれない。

そんなことを、最近よく考えています。

響かないという感覚と、どう向き合うか

「作品が響かない」というときに感じる“無”のような感覚や、
あとから響く現象、自分のセンサーを信じられなくなる不安などについて書きました。

では実際のところ、そういう“響かない”に出会ったとき、自分はどう向き合えばいいのか?

今回は、そのあたりを少し掘ってみようと思います。

「響かないからダメ」は短絡的すぎる

よくある話なんですが、
「この作品、よく分からなかった」→「自分には合わない」→「だから良くない」という三段跳び、しがちです。

でもそれって、自分のアンテナの限界を作品に押し付けてるだけだったりもする。

響かない=つまらない、ではなくて、
響かない=まだ何かがズレている、という状態なのかもしれない。

だから、いきなり「好き・嫌い」で終わらせずに、
「この違和感はどこから来てるんだろう?」と、少し立ち止まってみる。

それだけでも、自分の感性にとっては大事なことのように思うんです。

「いまは受け取れない」っていう仮置きでもいい

とはいえ、全部を受け止めきれないときもあります。
どう頑張っても、つまらないものはつまらないし、
感動できないものを無理に理解しようとしても疲れるだけ。

そんなときは、「これは今の自分にはまだ早い」って仮置きしておくくらいで、ちょうどいいかもしれません。

あとから、ふとした瞬間にその作品が思い出されて、
「あ、これってこういうことだったのかも」
って腑に落ちること、案外よくあります。

受け取れないのは、相性じゃなくてタイミングだったりもする。
だから、全部をその場で結論づける必要はないんだと思います。

「響かない」理由を探すのは、自分を知る作業

私は、「響かなかったこと」を理由付きで片づけたいというより、
「なんで響かないんだろう?」と考える時間がけっこう好きです。

たとえば、

  • 表現があまりにストレートすぎて、自分の感情に入り込んでこなかった
  • 技術はすごいけど、こっちの心のフックに一切引っかからなかった
  • コンセプトに共感できなかったというより、“入り口がなかった”

…そんなふうに分解していくと、
自分がどんなものに「引っかかり」や「共鳴」を感じるのかが、少しずつ見えてくる

それって結局、自分の価値観の地図を描いている作業なのかもしれません。

響かないことに罪悪感を持たなくていい

あと、地味に言いたいことがひとつ。
「響かない作品に対して、申し訳なさを感じる必要はない」です。

「みんなが絶賛してるのに、私は何も感じなかった」
そんなとき、少し肩身が狭くなること、ありますよね。

でも、それでいいんだと思います。
感性って、“感じようとして感じるもの”じゃないから

「感じなかった」ことも立派なリアクション。
その事実自体が、自分の感覚を信じてる証拠だと思っています。

「響いた瞬間」を忘れないようにする

一方で、「響いた瞬間」には全身で拍手を送るようにしています。
音楽でも、美術でも、映画でも、
何かが自分の中に「スッ」と入ってきたとき。

言葉になる前に涙が出たり、
意味もなく鳥肌が立ったり、
脳じゃなく、体が反応している感覚。

そのとき、「これだ」と思ったものは、しっかり覚えておくようにしてます。

その“響いた記録”が、
あとから「なぜ響かないのか」を考えるヒントにもなるし、
自分の中の大事な場所を教えてくれる道しるべになるからです。

響かないことも、感性の一部だと思いたい

私は、作品に対して爆発的に感動するタイプではありません。
どちらかというと、すぐには反応できず、
あとからじんわり効いてくることが多いタイプです。

でも、それでいいとも思っています。

響かない瞬間も、
あとから響くかもしれない期待も、
「響かない理由を考える時間」も、全部ひっくるめて
感性のひとつのあり方なんだと思います。

まとめ

  • 響かないことを責めない
  • 「なんで響かない?」を問いにする
  • 自分のセンサーを信じる
  • タイミングの問題かもしれない
  • 響く瞬間を記憶しておく

「響く/響かない」は主観だけど、
その揺れそのものに、ちゃんと向き合っていたい。

そんなことを、今日もぼんやり考えていました。

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